「吠えない犬ー安倍政権7年8カ月とメディア・コントロール」 感想

民主主義国家にとって主権者は国民である。であれば、国民による政府へのフィードバックが成されなければ民主主義は破綻し、全体主義が国を支配するだろう。

 

しかし、フィードバックに必要な情報を必ずしも政府が全て公開しているわけではない。ジャーナリストは政治権力が表に出さない事実を衆目に晒し、国民が主権を行使する正当な機会を提供する役割を担っていると言える。

 

本書では日本とアメリカで、政府とメディア(主に新聞)の関係を対比し、現在の日本のメディアが直面する課題を取り上げている。

 

 

その中で特に本書で繰り返し述べられていたのは、メディア同士の横のつながりの有無である。

デジタル技術の進歩や、テロの脅威、世界的な情報戦(サイバー攻撃)の激化。世界を取り巻く環境はますます政府による管理・監視体制の強化を後押ししており、政府は不都合な事実を隠しやすく、メディアへの圧力は増していっている。

 

そのような中でも、アメリカでは記者や内部告発者が政府による圧力にさらされた場合、保守・リベラルを問わずメディアは「表現の自由」と「言論の自由」のもとに団結し、抵抗する。

 

しかし、日本ではメディアに政府が圧力をかけると、メディア同士でバッシングをする。そして、記者や内部告発者は守られることなく圧力に降伏してしまうのである。

政府は今後ますますメディアコントロールを先鋭化させ、圧力をかけてくることを考えると、日本のメディアはタコツボ化型ジャーナリズムを脱し、横のつながりを持たなければいけないと指摘されている。

 


本書を読んでいてジャーナリズムは民主主義を守る戦いのなのだと感じさせられた。

民主主義は国民が主権を持つとはいえ、そもそも主権を正当に行使する機会が奪われては民意を反映したフィードバックはできない。
政府への批判ができず、国民が正当に主権を行使できなければ、政府の権力は暴走し、日本を全体主義が支配するようになるだろう。

太平洋戦争で大日本帝国が一億総玉砕を宣言した結果、国民はアメリカ軍からは武装民兵として虐殺され、大日本帝国からは国体護持のために人間爆弾同然の扱いを受けた。
戦争に限らず、全体主義的な思想のもとでは国民こそが悲惨な目に合うことは必然と思われる。

本書で扱っているのは日本のメディアの課題であるが、日本の民主主義について考えさせられる一冊だった。

 

「吠えない犬ー安倍政権7年8カ月とメディア・コントロール」著:マーティン・ファクラー 双葉社 2020年11月2日 第一刷