「それでも日本人は『戦争』を選んだ」感想

人は歴史から教訓を得られる。歴史を解釈し、正しく教訓を得ることができれば、それは数世紀先を見通す知識となる。ルソーは戦争について論文を書き、世紀をまたいで適用できる原則をみつけだした。

 

しかし一方で、人は歴史にとらわれることもある。アメリカはベトナム戦争に執着したため、泥沼化した。これはアメリカが手を出さなかったことで中国が内戦の結果共産化したという、主観的な「中国喪失」体験に起因するとアメリカの歴史学者アーネスト・メイは分析している。

 

本書では近代日本が如何にして太平洋戦争・日中戦争に踏み切ったのかを、近代日本が経験した3つの戦争(日清戦争日露戦争第一次世界大戦)を踏まえて、当時の国際情勢や国内情勢を見ていきながら、中学生に講義した内容をまとめている。

 

日清・日露戦争を勝利した大日本帝国は、植民地を得て列強の仲間入りを果たす。しかし、第一次世界大戦が終わる頃には、清国も帝政ロシアもなくなり、代わりに中華民国ソビエト連邦が成立していた。2つの新国家成立にともない、グレーゾーンであった満州に対する大日本帝国の利権をめぐり、日本は中国との対立を深めていく。時を同じくして国内では、陸軍が農民を中心に民衆の人気を集め、クーデターや暗殺により政治を麻痺させていく。そのような情勢下、満州事変を発端に、陸軍は内閣や統帥権に先行して中国に侵攻する。軍部と内閣の連携がちぐはぐなまま、大日本帝国日中戦争・太平洋戦争の開戦を選択する。

 


軍部で満州への執着が特に強かったことが、大日本帝国の世界からの孤立を招いていると感じられた。日露戦争での勝利が日本人にとって神聖化されていたことがこのような執着を生んだと考えられるのではないだろうか。

 

また、意外だったのは、一部の実情を把握している人を除いて極めて太平洋戦争の開戦を肯定的に受け止めていたという記録があったことだ。敗戦間近の悲惨な状況が印象強いだけに、開戦の段階で中国への戦争は弱い者いじめの様に感じで英米に対する宣戦布告を爽やかな気持ちで受け止めた等の表現は、当時の人との価値観の差を感じた。

 

歴史は人に教訓を与えもすれば、執着をもたらすこともある。しかし、正しく教訓を得られれば、未来を選択する力となるというメッセージにはとても感銘を受けた。

 

「それでも日本人は『戦争』を選んだ」著:加藤陽子 新潮文庫 2016年12月30日 第八刷